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前提


1年ぶりだった北九州展示会

昨年来て頂いたお客様は今年お母様を連れてきてくれました。

4点杖をつきながら段差のある店内は時折介助をうけて

作品を見ながら「私もいろいろしよったとよ」そう話してくださいました。

写真はその翌日UMIE+に届けてくれたというフラワーアレンジ

つまようじでデザインされた「Roren」の文字

同世代の作り手に刺激され気持ちや身体が動いたことが想像できました。

展示会を通じて「私にもできる何か」を探してくれたことは

この上ない喜びの一つです。

われわれの施設にもありがたいことに見学の方が多数いらっしゃいます。

これは素直に嬉しい事です。

ですが、様々なことに挑戦するご利用者を見て

ひとしきり感心された後

「病院じゃ難しい・・・」 「うちの地域じゃ・・・」 「会社の理解が・・・」 

「センスが・・・」 「教える人が・・・」 「人手が・・・」 「道具が・・・」

「スタッフの協力が・・・」

そんな言葉が続くこともあります。

こんな時は本当にさびしい気持ちになります。

わざわざ施設まで足を運んでくださったという嬉しさがある分

余計に無力さを感じることになります。

僕は一度だって「物作り」を勧めた事はありません。

ぜひこれをやるようにと強制することもないでしょう。

「物作り」から一度離れてみて下さい。

あれやこれやと 「できない前提」 を並べてしまう事に

あまりにも慣れすぎているように思うのです。

制度やシステムの中で改善すべきことは本当にないのでしょうか?

会社や地域、スタッフの協力を得る為にできる事はないのでしょうか?

ボランティアの募集や道具の寄付などはないのでしょうか?

本当にやれることはすべてやりきったのでしょうか?

目の前で挑戦する高齢者は

30年ぶりのミシンやこの歳になって初めて取り組んだ手仕事や

麻痺した利き手の代わりに動かす手や

さっきのことが思い出せない代わりに繰り返す反復動作や

自信が持てない時間から逃げ道として始めた事や

視力が低下してあきらめたことから新しくみつけた喜びや

家で役割が持てない代わりにデイで取り組む仕事・・・

簡単な挑戦なんて一つもなかったんです。

「命が尽きるのが先か出来るようになるのが先か」

そんなことを話しながら挑戦する方もおられます。

身体が動き、話す口と聞く耳をもち、年は半分ほどの私たちが

なんとあきらめの良い事か。

それなりの理由を付けて、出来ない前提を軽々と口にする事は

挑戦する高齢者たちが頑張るこの場所では慎んで頂きたい

そう思っています。

このフラワーアレンジにこめられたメッセージを

僕たちは考える必要があります。

ここまでの長文にお付き合い頂きありがとうございました。

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