「また出来た」の先にあるもの
「また出来た」はRorenの醍醐味
30年ぶり 50年ぶり のミシン 数十年ぶりの日曜大工
もうできないと思っていたけど「また出来た」
その「また出来た」を「まだやれる」に変えていきたいのです
一度の「また出来た」は嬉しさと共にまだ自分がしたんだと言えない不安
「デイサービスだから」 「先生がいるから」 「今日は調子が良かったから」
次はできないかもしれない その不安一つ一つと向き合いながら
私は「まだやれる」という気持ちは育っていきます
「まだやれる」はとても繊細
ご自分の身体や病気の事、残された人生の捉え方、
今までの人生で培ってきたこと、これからはどんなことに力を注ぎたいのか
それらの解釈が行なわれてこそ
一人でも多くの高齢者の方が「まだやれる」と思える様に
活躍する場を生み出していくこと